ダライ・ラマ6世

先代のダライ・ラマがなくなってから通常は数年の後に、その転生とされる後継の子供が発見されます。ダライ・ラマ6世(1683年3月1日 – 1706年11月15日)の場合は事情があって14歳で発見されました。それまでは5世の学生(摂政役の行政官)であるサンギェ・ギャツォが実権を握って いて、そのために発見が遅れたそうです。
当時の14歳といえば既に大人なので、昼は活仏としてふるまっていても、夜はラサの町で遊んでいました。それを見て王国の将来を憂えた地元の有力者が件の 学生を殺し、清の皇帝に法王の振る舞いを密告しました。その結果、6世は捕まえられて北京に送られることになりましたが、その途中の青海省で許されて解放 され、その付近で行方不明となり病死したとされます。法王としては汚点を残した6世ですが、庶民の間では親しみのある人物として人気があるそうです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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