舌痛症の治療 |
GLOSSODYNIA |
舌の痛みを治す
「先生、舌がピリピリ痛みます」
その患者さんは66歳の女性、山本聡子さん(仮名)。通常通り受付でカルテを作成して問診室に入っていただき、スタッフがお話をうかがいました。
スタッフ「山本さん、今日はどうされました」
山本さん「実は2か月ほど前から、舌の端の方がピリピリと痛むのです。ずっと我慢してきましたが、いつまで経ってもよくなりません。どこの科で診てもらうべきか分からないから我慢してきましたが、娘がネットで調べてくれて、こちらで診てもらえそうだと分かったので来ました」
スタッフ「痛むのは食事中ですか」
山本さん「食事中は気になりません。夕方から痛みが強くなって、寝る前が一番痛くなります」
問診を一通り行った後、診察室に移動して樋口院長の診察が始まりました。舌を含めて口の中全体と顔面、頸部の診察を行いました。
樋口院長「山本さん、見たところ舌の粘膜には何も異常ありません。もちろん舌がんではありませんからご安心ください」
山本さん「それはよかったです。もしかして舌がんではと不安でたまりませんでした。では、なぜ舌が痛むのでしょう」
樋口院長「これは舌痛症という病気で、簡単にいうと舌の神経が誤作動を起こしています。何も異常がないのに、異常があると脳に信号が送られてくる状態です」
舌痛症という病気
舌粘膜には異常が見られないにもかかわらず、舌が痛む病気が「舌痛症」です。舌が痛む病気全てを舌痛症と称する場合もあるため、舌痛症という病気が指し示す範囲は実のところあいまいです。舌が痛くなる理由として怪我で舌が傷ついたり、火傷したりというケースもあります。このように痛みの原因がはっきりしている場合は舌痛症とはいわず、舌の外傷や火傷ということになります。
もっと理由がわかりにくいものもあります。たとえばカンジダ菌というカビが口の中で繁殖すると、舌が痛くなることがあります。この病気を「口腔カンジダ症」といいますが、検査をすればこの病気に罹っているかどうか判明します。このように、広い意味での舌痛症は舌の粘膜に何らかの異常が生じている場合と舌の粘膜には何も異常がない場合とに大別されます。そして、舌の粘膜に異常が見られない後者のタイプこそが狭義の舌痛症なのです。
舌の粘膜に異常がある場合は食事中に痛み、食事以外の時間帯は痛まないか痛んでも軽度です。これに対して舌粘膜に異常がない場合は、食事中に痛みがなくなったり軽くなったりします。また、食事をしていない時間帯に痛みが持続するという特徴もあります。当院のスタッフが「痛むのは食事中ですか」と尋ねたのは、どちらのタイプの舌痛症が疑わしいかを区別するためです。舌粘膜に異常がある場合の原因はさまざまです。順番に解説していきましょう。
舌の粘膜に異常がある場合の舌痛症の原因
1.舌がん
舌の痛みを訴えて来院される患者さんの中には、舌がんではないかと密かに心配されている方が少なくありません。舌がんの大部分を占めるのは扁平上皮癌ですが、口腔粘膜にできた扁平上皮癌の半分以上のケースで痛みが初期症状として見られたという報告もあります。そのため、舌が痛いという患者さんを診察する際、「がんがあるかどうか」は最優先チェックポイントです。
私(樋口)の臨床経験では、舌が痛いと訴えて受診された方のほぼ全てが舌がんではありませんでした。一方、痛みは感じないがいつまでも出来ものがあるとか、口内炎が治らないといった患者さんの中には舌がんの方がいらっしゃいました。したがって、「舌が痛い=舌がん」ではないというのが実際のところですが、舌がんの可能性がゼロともいえません。「舌が痛むが我慢できる範囲だからそのままにしておこう」とは考えず、専門家の診察を受けることをお勧めします。
2、ドライマウス
口の粘膜が乾燥する病気を「ドライマウス」といいます。ドライマウスには唾液の出が悪いタイプと口呼吸により唾液の蒸発が異常に多いタイプがありますが、いずれにしても粘膜が乾燥した状態であることには変わりありません。唾液は粘膜の潤いを保つことにより、粘膜が傷ついたり細菌やカビが繁殖したりすることを防ぐ役割がありますが、ドライマウスになるとこの働きが損なわれてしまいます。その結果、粘膜が傷ついて痛み、細菌やカビが繁殖することになるのです。
3.口腔カンジダ症
口腔カンジダ症は口の中にカビ(真菌)が繁殖する病気です。口腔カンジダ症に罹患した舌は白い膜のようなものが貼り付く場合の他、舌が赤くなる場合もあります。ガーゼでこすると白い膜が取れてしまうのがカンジダ症の特徴です。
カンジダ菌が繁殖すると粘膜が傷ついて痛みが生じます。元来誰の体にも棲み着いている無害なカビですが、免疫力の低下や長期にわたる抗生物質の服用により、繁殖して症状が現れます。ドライマウスもカンジダ菌が繁殖しやすい病的な状態といえます。
4.歯ぎしり、食いしばり
一度、鏡を見てください。舌の縁がギザギザしていませんか。舌を歯に押し付けていると、舌に歯の型が付いてしまいます。それは食いしばっているからです。試しに奥歯に力を入れてグッと食いしばってみてください。舌にも力が入り、きっと歯を押しているはずです。今度は2~3㎜上下の歯を離してみましょう。舌が歯を押していませんね。それが正常な状態です。
舌を歯に押し付けていると舌にギザギザが付きますが、同時に舌が傷つきやすい状態になっています。舌が傷つけば、歯が痛むことにもなるのです。
5.歯のトラブル
虫歯で穴があいたり怪我をして歯が欠けたりした場合、歯の一部が尖っていると舌が傷ついて痛みます。詰め物やかぶせ物の端が歯に合わず尖っている場合も同様です。入れ歯の金具によって舌が傷つく場合もあります。
6.口腔扁平苔癬
粘膜が赤くなる部分と白くなる部分が入り混じった病気を「口腔扁平苔癬」といいます。触ると痛み、刺激物を口に入れてもしみて痛みます。扁平苔癬粘膜の一部を切り取る組織検査を行って病理標本を作製し、顕微鏡で観察してみると、粘膜直下にリンパ球が集まり強い炎症が起こっていることがわかります。「炎症があると痛みが生じる」ことを理解しておきましょう。
両側の頬粘膜に左右対称に病変が見られる場合が多く見られますが、舌の粘膜にも現れます。この病気の原因は不明で、がん化することもあります。
7.扁平苔癬様病変
歯科金属アレルギーや薬物アレルギー、移植片への拒絶反応の結果、口腔扁平苔癬とよく似た病変が口腔粘膜に現れることがあり、「扁平苔癬様病変」といいます。舌に扁平苔癬様病変が生じれば、やはり痛みます。口腔扁平苔癬が左右対称的に発生するのに対し、扁平苔癬様病変は片側だけに生じることもあります。
8.紅板症
原因が特に見当たらないにもかかわらず、粘膜が赤くなる病気が「紅板症」です。舌の粘膜に発生すると刺激物がしみて痛みます。紅斑症はがん化する可能性が高い要注意の病気です。
9.亜鉛欠乏症
亜鉛は体に必要不可欠な栄養素です。大量に汗をかく、腎臓の状態が悪化する、ミネラルの乏しい食事を続ける、腸の消化吸収に異常が生じた場合などに亜鉛不足に陥りやすくなります。亜鉛は粘膜の損傷を修復する際にも必要となる栄養素で、不足すると粘膜の修復が遅れます。その結果、舌の痛みと同時に味覚の異常も生じやすくなるのが特徴です。
10.鉄欠乏性貧血
血液の中には白血球や赤血球、血小板、血漿などが含まれています。赤血球は肺を通過する際に酸素と結びつき、体内の各臓器に酸素を運ぶ働きがあります。その際に必要となるのが鉄分で、不足して貧血状態となる病気が「鉄欠乏性貧血」です。
亜鉛と同様に鉄も粘膜の修復に利用されるため、鉄不足が生じると貧血の他に皮膚や粘膜にも損傷が起こります。鉄欠乏の結果、舌炎が生じて痛みが出ます。鉄欠乏性貧血、舌炎、スプーン状爪が見られる状態を「プランマービンソン症候群」といいます。
11.ハンター舌炎
口の粘膜は新陳代謝が非常に盛んで、数日から2週間程度で新しい細胞に入れ変わっていきます。皮膚では約28日の周期で入れ替わるので、口の粘膜の新陳代謝がいかに速いかがお分かりになるでしょう。「口の中の傷はすぐに治る」といわれる所以です。ビタミンB12はこの新陳代謝に関与する大切な栄養素で、ビタミンB12が欠乏すると粘膜が荒れて痛みます。「ハンター舌炎」はビタミンB12欠乏によって舌が痛む病気です。
12.腺様嚢胞がん
舌粘膜内部の唾液腺がガン化した唾液腺がん中で最もよく見られるものです。このがんは神経の周辺に浸潤しやすく、舌の痛みがよく出現します。舌がんのほとんどが粘膜の表面に腫瘤や潰瘍が見られる扁平上皮癌ですが、腺様嚢胞がんは粘膜の表面に変化が現れないため、大きくなるまで見つかりにくいがんといえます。
舌粘膜内部の唾液腺がガン化した唾液腺がん中で最もよく見られるものです。このがんは神経の周辺に浸潤しやすく、舌の痛みがよく出現します。舌がんのほとんどが粘膜の表面に腫瘤や潰瘍が見られる扁平上皮癌ですが、腺様嚢胞がんは粘膜の表面に変化が現れないため、大きくなるまで見つかりにくいがんといえます。
13.血管腫、血管奇形
血管の増殖や拡張によって舌が赤く膨らむ病気として、血管腫や血管奇形があります。血管に異常が生じると、血管の拡張や血管による周辺組織への圧迫による痛みが生じます。また、血管中に血栓が生じると血液の流れに異常が起こり、痛みにつながります。
舌痛症という病名の取り扱い
診察の結果、舌粘膜に異常がある場合は、例えば「口腔カンジダ症に伴う舌の痛み」というように舌痛症以外の病名が付きます。中には舌粘膜に肉眼的な異常が見られても原因が見つからない場合がありますが、そのような場合でも舌炎という病名が付くため舌痛症という病名は使いません。したがって、診察の初期の段階では舌の痛みに対して便宜上舌痛症という病名が用いられますが、最終的に舌痛症と確定されるのは舌粘膜に異常が見られない場合に限定されるのです。
ここで再び、冒頭で紹介した山本聡子さんに登場していただきましょう。山本さんは、食事中は痛みが気にならないということでした。また、舌粘膜には特に異常が見られませんでした。したがって、これまで述べてきたような病気には該当せず、何か別の原因が隠されていると考えられます。では次に、舌粘膜に異常が見られない場合の舌痛症の原因について見ていきましょう。
舌痛症の原因-舌粘膜に異常が見られない場合
1. 神経障害性疼痛
体のどこかに痛みがある場合は、必ずそれなりの理由があります。転んで打ってしまった、誤って包丁で指を切ってしまった、火傷した、腐りかけたものを食べてお腹が痛い。これらの場合は皮膚や筋肉、粘膜などに何らかの損傷が加わった結果、痛みが生じているわけです。このような痛みを「侵害受容性疼痛」といいます。
侵害受容性疼痛以外に、痛みには神経そのものが傷ついたり、神経に何らかの異常が生じたりすることによって発生する痛みがあります。このような痛みを「神経障害性疼痛」といいます。実際には、舌痛症の多くが神経障害性疼痛であると考えられています。しかし、舌痛症の患者さんには後述するような明らかな神経の損傷が見当たらない場合が多く、現時点では「舌痛症―神経障害性疼痛説」が正しいと確定したわけではありません。では、次に神経の損傷が明らかな例を見ていきましょう。
(1)舌神経の損傷
舌の手術や下顎の親知らずの抜歯の際に、舌神経が傷つくことがあります。舌神経は舌の多くの部分の痛みと関連しているため、舌神経損傷によってしびれが生じると同時に舌が痛む場合もあります。
(2)三叉神経痛
顔面の触覚は三叉神経を通って脳に伝達されます。したがって、三叉神経が何らかの理由で圧迫され障害されると、三叉神経痛が生じます。三叉神経痛は突然起こる強烈な痛みで、数秒から数分の間に消えてなくなるという特徴があります。
(3)脳腫瘍、脳出血、脳梗塞、ギランバレー症候群
三叉神経が脳腫瘍や脳出血によって圧迫されることにより、三叉神経痛が生じる場合があります。また、三叉神経痛のような発作的な痛みではなく、持続する痛みが生じる場合もあります。脳梗塞やギランバレー症候群では、三叉神経の元となる脳内の神経組織が変性することにより痛みが生じます。
(4)糖尿病
糖尿病による高血糖状態が続くと神経組織に不要物が溜まったり、神経の周囲の血流が低下したりします。その結果、神経が障害されて神経障害性疼痛が生じます。
(5)ヘルペスウイルスの感染
私たちのほとんどが子どもの頃に単純ヘルペスウイルスに感染し、唇に口内炎(口唇ヘルペス)ができた経験を持っています。このウイルスはその後三叉神経節に棲み着き、免疫力が低下した場合などに増殖して、その度に口唇ヘルペスを発症させます。水疱瘡の原因となる水痘―帯状疱疹ウイルスもヘルペスウイルスですが、水疱瘡に罹った後も同様に三叉神経節に棲み着きます。そして病気や過労により体の抵抗力が低下すると、水痘―帯状疱疹ウイルスが増殖して帯状疱疹を発症させるのです。
これらのヘルペスウイルスが神経節に棲み着いて増殖すると神経が損傷され、神経障害性疼痛が生じます。中でも帯状疱疹を発症し、皮膚や粘膜の病変が治癒した後も続く神経障害性疼痛の一種を「帯状疱疹後神経痛」といい、治りにくい痛みの一つであるとされています。
2.筋・筋膜性疼痛
筋膜とは筋肉や内臓を包む薄い膜のことです。「筋・筋膜性疼痛」とは筋肉や筋膜の痛みを意味し、血行が悪くなって縮んでしまい硬くなって凝った状態であると理解してください。このような筋肉は押しても動かしても痛むものですが、舌にも筋・筋膜性疼痛が生じる場合があり、やはり舌を押したり動かしたりすると痛みが生じます。
3.身体症状症、疼痛が主症状のもの
一見しただけではわかりにくい病名ですが、「身体症状症」とは患者さんが痛みなどの症状を非常に苦痛とする病気をいいます。痛みを伴う病気であれば、これまで紹介してきたものも含めてあらゆる病気が身体症状症に当てはまりそうですが、身体症状症という病名は「患者さんがどの程度苦にして問題を抱えているか」に焦点を当てたものです。つまり、通常の病名とは別の概念を持つ病名であるとご理解ください。
「身体症状症、疼痛が主症状のもの」は、かつて「心因性疼痛」や「疼痛性障害」といわれていたものと似ています。心因性疼痛とは、身体には異常がないにもかかわらずストレスなどの心理的要因が原因となって生じる痛みのことですが、心理的要因が原因であるかどうかを実際に解明することは大変難しいことです。また疼痛性障害とは、身体に痛みの症状に合致する異常がないにもかかわらず痛みが続く原因不明の病気ですが、痛む理由が全くないと見究めることも実は大変困難です。このような現実的な事情から、心因性疼痛や疼痛性障害という病名が「身体症状症、疼痛が主症状のもの」に置き換えられたわけです。
4.本態性疼痛
別名特発性疼痛ともいいますが、「本態性」「特発性」とは「原因不明」という意味です。痛みの原因をいくら調べても、まるでわからないという場合も珍しくありません。その種の痛みに対しては原因を探すことは棚上げにして、痛みを和らげることに治療の目標を切り替えます。中には、本態性疼痛であるはずの痛みの原因が後から明らかになる場合もあります。
舌痛症の検査法
舌粘膜の異常の有無にかかわらず、今までにご紹介したような問題について詳しくチェックする必要があります。検査法はいろいろありますが、検査前の問診でわかることもまたたくさんあります。問診ではいつから、どのようなきっかけで、どの部分が、どのように痛むのかを詳しく尋ねます。最初に現れた症状がその後どう変化し、現在はどんな状態であるのかも尋ねます。痛みの強さやタイプ、痛む回数や持続時間、同時に起こる症状、悪化させる要因、軽快させる要因、痛いとき反射的に出る行動についても尋ねます。
1.視診
舌粘膜の異常は見ただけでかなりの程度わかるもので、口腔がん、口腔カンジダ症、口腔扁平苔癬、扁平苔癬様病変、紅板症がそれに該当します。粘膜が乾燥していたり、唾液が泡状になっていたらドライマウス、舌の縁がギザギザしていたり、頬粘膜の前後に筋状の白線が付いている場合は歯ぎしりや食いしばりの形跡であるとわかるのです。
2.触診
粘膜に触れたとき、しこりがあれば口腔がんの可能性があります。顎の下のリンパ節がぐりぐりと腫れている場合は口腔がんのリンパ節転移かもしれません。また、粘膜が白くなった部分をガーゼで取り除ける場合は口腔カンジダ症によって生じた偽膜であると判断できます。見た目が正常な粘膜をそっとなでるだけで痛みが生じる場合は神経障害性疼痛による異痛症や痛覚過敏であり、同時に感覚の鈍化が観察されます。
3.真菌検査
滅菌した綿棒の先で舌粘膜をこすって検体を採取します。真菌検査口腔カンジダ症の場合は検体をプレパラートにこすり付けて染色し、顕微鏡で観察するとカンジダ菌が観察できます。また、綿棒から採取した検体を培養すると真菌(カビ)の塊が生えてきます。
4.口腔粘膜湿潤度
ムーカスという機械を舌粘膜に押し当てると、粘膜が潤っているのか乾燥しているのかが数値で表示されます。
5.唾液検査
唾液が出る量を計測したり、唾液の性質を調べたりする検査を行います。唾液の量が少なければドライマウス、唾液が濁っていたり変色したりしている場合は粘膜が傷ついていることがわかります。一見すると粘膜に異常が見当たらない場合でも、このように唾液の性質を調べると潜在する問題が見つかることがあります。
6.病理組織検査
粘膜の一部を切り取って組織標本を作製し、顕微鏡で観察することを病理組織検査といいます。口腔がん、口腔扁平苔癬、扁平苔癬様病変、紅板症の場合はこの検査によって診断が確定されます。口腔カンジダ症についても病理組織検査を行うことがあります。
7.心理テスト
舌の痛みが続くと、「舌がんかもしれない」「なぜ痛むのだろう」「この痛みはいつまでも治らないかもしれない」など、さまざまな思いが交錯します。時には不安や気分の落ち込みから、日常生活に支障をきたす場合もあります。ストレスに代表される心理的要因が痛みを引き起こしたり、痛みを長引かせたりすることも十分に考えられます。このような心理的問題を調べるために心理テストを行うのです。用紙に記入していただいた内容を採点すれば、不安や抑うつの程度だけでなく性格を知ることもできます。
舌痛症には舌粘膜に異常が見られる場合と見られない場合の2通りがあり、検査方法もたくさんあることがわかっていただけたでしょうか。実際の患者さんは、舌粘膜の異常により食事中に痛みをおぼえると同時に食事以外の時間帯も痛みが続き、神経障害性疼痛も抱えていることが少なくありません。つまり、一人の患者さんの舌の痛みに二つ以上の原因があるということです。したがって、それぞれの問題に応じた治療が必要となります。
舌痛症の特徴
検査の結果、山本聡子さんは舌粘膜に異常がないことがわかり、神経障害性疼痛が疑われました。舌神経の損傷、三叉神経痛、糖尿病、ヘルペスウイルスの感染は見当たりません。また、舌の痛みがかなり苦痛で日常生活にも悪影響が生じていることから、「身体症状症、疼痛が主症状のもの」とも判断できることがわかりました。
こうして、どのようなタイプの舌痛症なのかが判明すると、次はいよいよ治療に入っていきます。し舌の痛みを治す2かしその前に、舌痛症とはそもそもどんな特徴を持つ病気なのかをおさらいしておきましょう。ここで述べる舌痛症とは舌粘膜に異常が見当たらない、主に神経障害性疼痛と考えられるタイプの舌痛症です。
- 舌粘膜、その他の口腔粘膜に外見上の異常が見当たらない
- 慢性的な舌の痛みが続く
- 痺れた感じやヒリヒリ、ピリピリ、ザラザラ、チリチリなどの感覚をおぼえる場合がある
- 口の中が燃えるような感覚をおぼえることがある
- 舌の動きや形には異常が見られない
- 舌の症状は舌縁や舌尖に生じやすいが、舌背の中央部や口蓋粘膜に生じることもある
- 症状の消失と再発を繰り返している
- 症状が強くなったり、弱くなったりする
- 食事中に痛みが強くなることはなく、むしろ痛みが軽減したり消失したりする場合が多い
- 午前中は痛みが軽く、夕方から夜にかけて痛みが強くなることが多い
- 入浴中や就寝前によく痛む
- ストレスがかかると痛みが強くなる
- 仕事や家事、勉強などに集中しているときは痛くない
- 友人との集まりや旅行などの間は痛みを感じない
- 血液検査では異常が見られない
- 虫歯など歯のトラブル時や治療後に症状が発現しやすい
- 頭痛や生理痛時に使う一般的な鎮痛剤が効かない
3番目の「痺れた感じやヒリヒリ、ピリピリ、ザラザラ、チリチリなどの感覚」は神経障害性疼痛の特徴を如実に表すものです。また、4番目の「口の中が燃えるような熱感をおぼえる」症状は口腔灼熱症候群という病名で呼ばれることもありますが、特徴が舌痛症と共通する病気と考えられます。一方、舌痛症を抱える患者さんについては次のようなことがいえます。
- 全人口の1~3%に発症する
- 男性よりも女性の方が10倍近く罹りやすい
- 女性の中でも特に更年期の女性に多い
- 舌の痛みは舌がんによるものではないかと不安に思う
- 舌の痛みは歯の出っ張りやかぶせ物と歯との段差、入れ歯などが原因ではないかと疑う
- 舌の奥の膨らみ(有郭乳頭)や舌側面の膨らみ(葉状乳頭、歯痕)について、舌がんではないかと心配になる
- 異常がないのに病気を疑う病気不安症の傾向がある
- 几帳面であったり、完璧主義的傾向が強かったり、執着気質を持ったりする
- いつも舌の症状を気にする強迫観念がある
- 体の他の部位にも慢性的な痛みを抱えていることが多い
舌痛症と同時に発生する病気
舌が痛い、舌がピリピリする、舌や口蓋の粘膜が焼けるように熱いなど舌痛症の症状を訴える患者さんのお話を聞いてみると、他にも共通した症が現れていることがわかります。
1.筋・筋膜性疼痛
舌が痛む場合は顔面や首、肩に筋・筋膜性疼痛が生じている場合がよくあります。歯には何も異常がないのに、筋・筋膜性疼痛筋・筋膜性疼痛が原因で歯に痛みを感じる場合もあります。このような症状を筋・筋膜性歯痛といい、歯ぎしりや食いしばりが関係していることが少なくありません。筋・筋膜性疼痛が舌の痛みの直接的な原因になることもあります。また、慢性的な舌の痛みのために首や肩の筋肉が凝り固まることにより、筋・筋膜性疼痛が生じる場合もあります。
2.口腔灼熱症候群
口の中が焼けるように痛くなる病気を「口腔灼熱症候群」といいます。この症状は舌に出やすく、症状が舌に限局する場合もあります。口腔灼熱症候群舌痛症と口腔灼熱症候群は症状が似通っている部分があるため、同じ病気であると考えても支障はありません。
3.味覚障害
味が感じにくい、変な味がするというような味覚の異常が舌痛症の患者さんに見られる場合があります。味が感じにくくなることを「味覚減退」、味を感じなくなることを「無味覚」といい、亜鉛欠乏症や薬の副作用、ドライマウス、ウイルス感染などでよって生じます。味覚障害他に何も口に入っていないのに味がする「自発性異常味覚」、甘いものを苦いなどと感じる「錯味症」、嫌な味を感じる「悪味症」などがありますが、これらは味覚を感じる神経が病的に興奮した状態であることが原因と考えられています。その点において、本来は舌に痛みの原因がないにもかかわらず、痛覚を伝える神経が病的に興奮した状態で痛みを脳に伝える舌痛症と共通の要因が潜んでいることが疑われます。
4.ドライマウス
何らかの理由により、唾液の分泌量が低下して舌の粘膜が乾燥すると粘膜が荒れて痛みが発生します。このことから、ドライマウスは粘膜に異常が見られるタイプの舌痛症の原因となります。一方、唾液の分泌量が低下していないにもかかわらず口の中が乾いたり、ネバネバしたりするタイプのドライマウスもあります。このタイプは、舌の知覚や温度覚を伝える神経が脳に間違った情報を伝えることにより生じたものと考えられています。このような神経の異常は舌痛症と共通するものです。
5.咽喉頭異常感症
のどが詰まる感じやのどに何かが引っかかっている感じ、のどがイガイガする感じなどの違和感が生じる病気を「咽喉頭異常感症」といいます。
このような症状はのどのがんや良性腫瘍、細菌感染、アレルギー、乾燥などにより生じますが、いくら調べても何も異常が見当たらない場合もあります。その場合は、のどの知覚を伝える神経の異常によって脳に誤った信号が伝わっていると考えられます。このような神経の異常は舌痛症と共通するものです。
私の紆余曲折体験
ここまでが舌痛症の原因や症状、特徴、分類、検査法で、ここから治療の話に入ります。その前に、私の舌痛症治療の歴史についてお話させていただきますので、今しばらくお付き合いください。治療についてはその後、しっかりと説明します。
私が大阪大学歯学部を卒業したのは1987年の春。4月初旬に歯科医師国家試験があり、4月下旬から口腔外科外来で診療を始めることになりました。それまで大学5年生の秋から1年間にわたる大学病院での診療を経験し、基本的な歯科治療の技術を身に着けてはいましたが、実際には簡単な抜歯と幾つかの口腔外科手術を見学した程度の初心者でした。そのため、口腔外科入局後は手術や検査の実技について連日、猛特訓を受けました。口腔外科の外来は午前が診療、午後が手術です。毎日の手術で経験を積むうち、手術の腕前はみるみる上達していきました。自分では一人前の口腔外科医になってきたという実感がありましたが、それでも解決できない問題があると感じていました。
大阪大学歯学部口腔外科が診療の中心に据える病気は、口腔がんと唇顎口蓋裂です。口腔がんとは舌がんや歯肉がん、唾液腺がんなどで、唇顎口蓋裂とは口唇裂や口蓋裂などの先天的な形態異常です。これらの病気の診察や手術を最優先することを至上命題として、外来や病棟が動いています。他には顎の骨の骨折、受け口などの顎変形症、良性腫瘍、のう胞、唾石症、顎関節症、親知らずの抜歯、歯の脱臼、膿瘍などの手術を外来や病棟で行っています。
しかし、口腔外科は手術で治療する病気だけではありません。たとえば三叉神経痛や顔面神経麻痺、口内炎、白板症、扁平苔癬、カンジダ症、ドライマウスといった神経や粘膜の病気も口腔外科の担当です。当然これらの病気についても検査法や治療法を学び、主に投薬による治療を行います。その中に舌痛症が含まれていましたが、舌痛症だけは勝手が違う特別な病気でした。舌痛症の患者さんは「痛い」「ピリピリする」などと訴えますが、その部分を見ても触っても何も全く正常なのです。もちろん検査をしても異常は見つかりません。舌が痛むのだから舌痛症ということになるわけですが、治療法がないので途方に暮れたものです。
現代医学の基本とは、それぞれの病気の症状を詳しく調べることから診療が始まります。症状の原因となる問題点を解明し、病気を診断し、それに対する治療を行うことにより現代医学は発展してきました。私が学生時代に繰り返し習ったのもこの診断と治療法です。しかし、舌痛症はこの原則に当てはまらないのです。症状を調べても原因は不明で、かろうじて「舌痛症」と病名を付けることはできても、改善させるための治療法が見当たりません。
患者さんが何か問題を訴えて受診されると、その部分を念入りに診察するのが基本姿勢ですから、何も異常が見当たらなければ「異常はありません」と説明し、そこで治療終了となります。異常がなければ患者さんも安心して一段落となるはずですが、舌痛症ではそうはいきません。幾ら異常が見当たらなくても実際に痛むのですから、患者さんとしては何とかして治して欲しいわけです。
今では舌痛症の原因が慢性神経障害性疼痛であることは専門家の共通認識ですが、1981年当時は原因不明の病気でした。一部の口腔外科医は3環系抗うつ剤を試し始めていましたが、大多数は手をこまねいていました。私の口腔外科の先輩方も例外ではなく、舌痛症の患者さんに対して、力を尽くして治そうとする姿勢は見られませんでした。むしろ、できれば関わりたくないという消極的な態度が見え隠れしていたものです。
そんな春のある日、私に舌痛症の患者さんが割り当てられました。和歌山県から家族に付き添われて来院した50代の女性です。それまでの経験から、舌痛症に関しては教授や先輩に頼ることができません。治療法がわからなくても自分で何とかするしかない。まずは患者さんの言葉をよく聞くことから始めました。患者さんの話は舌が痛いということに留まらず、今まで受けた治療の内容や日々不自由していることまで多岐にわたります。その内容は取り留めなく、散文的であちこちに飛びます。それでも何とかヒントを掴もうと、カルテに書き留めていきました。
話を聞いていると、患者さんが舌がんを心配していることがひしひしと伝わってきます。舌をよく観察し、念入りに触診して調べても舌がんが否定されることを説明するとその時は安心されるのですが、次に来られた時にはまた同じように舌がんを心配されているのです。病気不安症の傾向があり、強迫観念にとらわれていると今では判断できますが、当時は知識がなく、何度説明しても気にして来院されること自体を不思議に思っていました。
当然のことながら、幾ら患者さんの話に耳を傾けても治療につながらなければ意味がありません。そこで舌痛症に関する論文や書物を読み漁り、治療法を探しました。確実な治療法こそありませんが、いろいろな治療法が試みられていました。ビタミン剤、うがい薬、軟膏、鎮痛薬、漢方薬、抗不安薬などが紹介されていたので、順番に使っていきます。どこかの論文で見たセファランチンという薬も使ってみました。しかし、どの薬を試してみてもはっきりとした効果は現れてくれません。
舌の痛みに対する改善は見られませんが、患者さんは和歌山から定期的に通い続けて来られます。今まであちこち地元の医療機関を訪ね歩いても解決できなかったので、他に行くところも残されておらず、とりあえず毎回、長時間に及ぶ診察を受けていることに意義を見出していたのかもしれません。新米の私は、この患者さんを通じて舌痛症を深く学ぶことができました。そして卒後1年目にも舌痛症の患者さんを診る機会が何度もあり、治療法として自律訓練法や3環系抗うつ薬を試すことができました。
こうして大学病院や総合病院の口腔外科で舌痛症の患者さんをときどき見てきたわけですが、治療成績ははかばかしくありませんでした。状況が改善したのは2005年に開業してからです。インターネットで舌痛症の情報を探していたところ、東京医科歯科大学の豊福明教授の解説記事に出会い、3環系抗うつ薬による舌痛症治療の可能性を知ったのです。その後、3環系抗うつ薬を本格的に使用するようになりました。同時に、大阪市で開催されているTAO東洋医学研究会主催の漢方の勉強会に参加するようになり、舌痛症に対して漢方薬も用い始めたのです。また、口臭治療の一環として取り入れていた認知行動療法を舌痛症に対しても行うようになりました。このような紆余曲折を経て、現在の舌痛症治療を確立したわけです。さあ、次からはいよいよ実際の症例を見ていきましょう。
山本聡子さんの心配
冒頭に登場した山本聡子さんは現在66歳。更年期は過ぎているものの、この年代の舌痛症患者さんは少なくありません。最初の問診でも、「舌先と口蓋粘膜が痛くなる」「午前中は痛まないのに夕方以降はだんだん痛くなっていく」というように、舌の痛み方に特徴が見られました。また、「近くに住む孫が遊びに来たときはすっかり痛みがなくなっていました」とも話されました。
私たちは、今まで意識しなかったことについて調子が狂うと気になるものです。舌に痛みを感じたとき、鏡を見て口内炎を見つけたり入れ歯で傷ができているのを見つけたりすれば納得できるでしょう。口内炎であれば、1~2週間我慢すれば治ることは既に経験されているかもしれません。入れ歯が舌を傷つけているなら、歯医者に行って調整してもらえば済みます。痛みの原因と対処法がわかっていたら安心できます。痛みはそう長くは続かないでしょう。
ところが、鏡を何度のぞき込んでも異常が見当たらない場合は、かえって心配になるのが人情です。何か悪い病気に罹っているのだろうか。がんは痛い、がんが進行すると麻薬で痛みを抑えなければならなくなる。このような連想から「舌がんではないか」と心配するのも無理ありません。舌をよく見ると、側面の奥の方が赤く膨らんでいるように見えます。「やっぱり舌がんだ」と絶望的になる気持ちを何とか立て直し病院へ走るでしょう。
私のクリニックにも「舌の横の奥の方が膨らんでいる、舌がんでしょうか」と飛び込んで来られる患者さんがたくさんいます。実をいうと、この膨らみは「葉状乳頭」という膨らみで誰にでもあるものです。鏡の前で舌を最大限突き出してください。舌の左右の側面の一番後ろに表面がデコボコした膨らみが見えるはずです。他の部分と比べると、表面が赤くなっていることもあります。これが葉状乳頭です。また、舌の上部(舌背部)に小さな膨らみが横一列に並んでいるのが見えるでしょう。これが「有郭乳頭」で、やはり誰にでもある正常な組織です。この有郭乳頭も初めて見た人は「舌がんではないか」と心配の種になるのです。
舌痛症の治療法
1.薬物療法
粘膜に異常が見られない典型的なタイプの舌痛症については、まだ明確な原因が特定されていませんが、神経障害性疼痛との関連を疑う専門家が増えてきています。神経障害性疼痛とは、さまざまな原因から神経が異常な興奮を起こすことによって発生する痛みのことです。国際疼痛学会によると、「末梢、中枢神経系の直接の損傷や機能障害や一過性の変化によって始まる、または起こる痛み」と定義されています。舌痛症患者の舌の一部を切り取って調べた研究では、神経線維の密度が低下して形態が変化していることが判明しました。また、痛みの伝達に関与するTRPA1や神経成長因子(NGF)の発現が見られたことから、舌に神経障害性疼痛が生じていると推測できるのです。
神経障害性疼痛の痛みは、三叉神経痛のように「突然強烈な痛みが短時間生じる発作性の痛み」と舌痛症のように「弱い痛みがずっと続く持続性の痛み」があります。持続性の神経障害性疼痛に対する治療薬は、三環系抗うつ薬と抗けいれん薬です。
(1)三環系抗うつ薬
基本的に、抗うつ薬は気分が落ち込んだり意欲がなくなったりするうつ病に対して用いられる治療薬ですが、他の疾患に対しても有効なケースが多く見られます。もちろん、舌痛症がうつ病の一種だという理由から抗うつ薬を使用するわけではありません。両者は全く別の病気であり、うつ病は心の病気、舌痛症は身体の病気です。ではなぜ抗うつ薬が用いられるのでしょうか。抗うつ薬は、うつ病に対しては海馬や前頭前野などの大脳に作用します。一方、神経障害性疼痛では同じ抗うつ薬が延髄や橋などの脳幹や脊髄に作用するのです。つまり、同じ薬であっても働く場所が違うということです。さらに働き方も違います。
抗うつ薬にはいくつかの種類がありますが、痛みに対してよく用いられるのは三環系抗うつ薬で、その中でもトリプタノール(薬品名:アミトリプチリン)が代表選手です。トリプタノールは神経障害性疼痛に対する治療効果が高い一方、眠気や口の渇き、便秘など副作用が出やすい薬でもあります。そのため、1日1回の服用量はまず少量の10㎎からスタートして効果と副作用を天秤にかけながら徐々に増量していき、十分に効果が発揮されればその量を半年間継続します。私の臨床経験では、半年経って服用を中止しても痛みが再発するケースはあまりありません。このように、痛みは適切にコントロールすることによりいつの間にか消失してしまうのです。
抗うつ薬にはいくつかの種類がありますが、痛みに対してよく用いられるのは三環系抗うつ薬で、その中でもトリプタノール(薬品名:アミトリプチリン)が代表選手です。トリプタノールは神経障害性疼痛に対する治療効果が高い一方、眠気や口の渇き、便秘など副作用が出やすい薬でもあります。そのため、1日1回の服用量はまず少量の10㎎からスタートして効果と副作用を天秤にかけながら徐々に増量していき、十分に効果が発揮されればその量を半年間継続します。私の臨床経験では、半年経って服用を中止しても痛みが再発するケースはあまりありません。このように、痛みは適切にコントロールすることによりいつの間にか消失してしまうのです。
トリプタノールの副作用が強く出る場合には、ノリトレン(薬品名:ノルトリプチリン)に切り替えます。この薬も三環系抗うつ薬ですが、トリプタノールよりも口の渇きや便秘の副作用が少ない薬です。
(2)抗けいれん薬
てんかんの発作を抑えるために用いられるのが抗けいれん薬で、神経細胞の異常な興奮状態を抑える作用があり、この働きによって神経障害性疼痛を抑えてくれます。抗けいれん薬で神経障害性疼痛に対してよく使用されているのがリリカ(薬品名:プレガバリン)とガバペン(薬品名:ガバペンチン)です。
舌の痛みを伝える三叉神経は延髄、橋、頚髄上部に至る感覚根まで走行し、その先に続く脳内の神経線維に痛みの信号を送ります。この神経線維の接続部(シナプス)にあるカルシウムチャンネルのα2δサブユニットという部分にリリカやガバペンがくっ付くことにより、神経線維内部へのカルシウムイオンの侵入を妨害します。この作用が痛みの神経伝達を抑え、痛みを軽減させることにつながるのです。
(3)トラムセット
三環系抗うつ薬やリリカが使用できない、あるいはこれらの薬が効果を発揮しない場合の次善策が麻薬系鎮痛薬の服用です。トラムセットは麻薬系鎮痛薬の代表的薬剤で、トラマドールという麻薬系鎮痛薬とカロナール(薬品名:アセトアミノフェン)という解熱鎮痛薬を組み合わせた薬です。一般的に、麻薬系と聞くと「麻薬中毒」や「禁断症状」というような言葉が連想されがちです。確かに、痛みのない健康な人がモルヒネなどの麻薬系鎮痛薬を使用すると麻薬中毒や禁断症状に陥る場合があるものの、痛みを持つ人が痛みを抑えるために必要な範囲で麻薬系鎮痛薬を使用する場合は、中毒も禁断症状も起こらないので心配は無用です。
(4)三環系抗うつ薬以外の抗うつ薬
三環系抗うつ薬は古いタイプの抗うつ薬ですが、神経障害性疼痛に対しては新しく開発された抗うつ薬より効果があるため、第一選択薬として使用されています。ただし、眠気や口の渇き、便秘などの副作用が出やすいという欠点があり、頻度は低いものの心臓の動きに悪影響を与える場合もあります。三環系抗うつ薬が適さない場合には別のタイプの抗うつ薬が用いられます。
- SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)
- サインバルタ(薬品名:デュロキセチン) トレドミン(薬品名:ミルナシプラン)
- SSRI(セロトニン再取り込み阻害薬
- パキシル(薬品名:パロキセチン)デプロメール、ルボックス(薬品名:フルボキサミン) ジェイゾロフト(薬品名:セルトラリン) レクサプロ(薬品名:エスシタロプラム)
- NaSSA(ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬)
- リフレックス、レメロン(薬品名:ミルタザピン)
(10)トウガラ
寒くなってしもやけが足にできたとき、靴底にトウガラシを入れるとホカホカして楽になりますね。これはトウガラシが足裏の皮膚を刺激することで血行が良くなると同時に、トウガラシ自体に痛みを和らげる効果があるからです。同様に、舌痛症にもトウガラシを利用することができます。もちろん、靴にトウガラシを入れるように口の中にトウガラシを入れておくわけにはいきません。
ではどうするかというと、タバスコを舌の上に数滴垂らすという方法です。また、トウガラシの辛み成分であるカプサイシンが入ったカプサイシンクリームやトウガラシチンキを舌に塗る方法もあります。ただし、いずれも本来は舌につけるものではないため、使用する場合は様子を見ながら自己責任で試してみてください。
(5)カロナール
頭痛や生理痛時に服用する鎮痛剤は、舌痛症に対してあまり効果を発揮しません。このタイプの消炎鎮痛薬は、舌炎などで炎症を起こした舌の痛みを速攻で抑える働きがありますが、神経障害性疼痛は舌の粘膜に炎症があるわけではなく、シナプスなど舌から離れた神経組織に炎症ではない痛みの原因が存在するため、消炎鎮痛剤は効かないのです。ただし、鎮痛剤の中でもカロナール(薬品名:アセトアミノフェン)は例外的に舌痛症に対して効果があります。カロナールは下降抑制系という脳の働きを助けることにより、三叉神経の感覚根部分にあるシナプスで痛みを抑制します。
カロナールは鎮痛薬としては比較的副作用が少ないため、解熱薬や鎮痛薬として妊婦や小児によく使われる薬です。
(6)漢方薬
神経障害性疼痛に対する第一選択薬は三環系抗うつ薬、あるいは抗けいれん薬であると述べましたが、副作用のため使えない場合があります。主に心臓や腎臓に持病があるケースが該当しますが、うつ病やてんかんに使う薬を使うこと自体に抵抗を感じる人も少なくありません。そのような場合は漢方薬が適しています。体質に合う漢方薬を正しく選択すれば副作用はめったに出現しません。
漢方薬が有効であるとはいえ、もちろん舌痛症の特効薬があるわけではありません。漢方薬はそれぞれの病気に対して使う薬(方剤)が決まっているのではなく、その人の体の状態や体質に合わせて使う漢方薬を選択する必要があります。そのため、同じ病気でも患者さんごとに使う薬(方剤)が異なります。逆に舌痛症や胃もたれ、腹痛、月経不順など異なる症状や病気に対して同じ方剤を使うこともよくあります。また、ひとつの薬の効果により全ての病気や症状が同時に治ることもあります。
舌痛症に対して方剤を選ぶ際には、「気が不足している」「血が滞っている」「湿が多く熱がある」といった病状(証)を確認し、それらを治す働きがある方剤を選びます。また、舌先は「心」や「肺」の領域、舌の横(舌縁部)は「肝」の領域とされるため、これらを統合して「心熱」や「肝気鬱結」に効く方剤を選んでいきます。
(7)抗不安薬
人間関係に強いストレスを感じる、人前に出ると緊張してドキドキする、痛みのことが気になって寝つけないなどの症状がある場合は、抗不安薬の服用がかなりの効果を発揮する場合があります。いつの間にか舌の痛みまで緩和されることもあります。ほとんどの抗不安薬はベンゾジアゼピン系の抗不安薬(精神安定剤)で、睡眠薬としても使用されています。即効性のある薬ですが飲み続けると「薬剤耐性」が出やすく、だんだん効きが悪くなっていきます。また薬を止められない依存性に陥りやすいため、短期間の使用に適した薬であるといえるでしょう。
(8)リボトリール
ベンゾジアゼピン系抗不安剤で抗けいれん薬でもあるリボトリール(薬品名:クロナゼパム)は、舌痛症の治療薬としても用いられています。内服する他、錠剤を二つに割って口に含み、4分間で吐き出すという使用方法もあります。
(9)局所麻酔薬
神経障害性などの慢性的な痛みは、無痛期間が続くとそのまま自然に痛みがなくなるという特徴があります。痛みを感じなくさせる即効法は麻酔薬の使用で、痛む部分に局所麻酔タイプの塗り薬を使用する治療法があります。歯の周囲に生じた神経障害性の痛みに対しては、歯型を採ってマウスピースのような装置を作り、その中に局所麻酔薬のジェルを塗布して歯に装着するという方法があります。しかし舌にはこのような装置が使えないため、塗った薬がすぐ唾液で流れてしまうという難点があります。
舌痛症の治療法2
2.認知行動療
心理テストの項でも触れましたが、舌の痛みが続くと「なぜ痛いのだろう」「がんじゃないかしら」「いつまでも治らなかったらどうしよう」などと思い悩むものです。悩みが続くと、時には仕事や家事、勉強にも支障が生じてしまいます。精神的に追い詰められると身体の調子がさらに悪化する場合もあり、まさに悪循環に陥ることになります。したがって、何より大切なことは病気を正しく理解し今の状況を的確に把握して、日常生活への影響を出来るだけ少なくすることです。その主旨に沿った対処法が認知行動療法です。
認知行動療法とは心理療法の一種で、簡単に言うと病気を正しく理解して受け止め、病気に対する対処法をいろいろと試してみる方法です。試した結果を記録に留めておき、後で振り返ってどの方法がベストであるのかを確かめます。こうした行為により前向きな気持ちで病気に立ち向かったり、時にはやり過ごしたりできるようになります。舌の痛みに対処しているうちに、痛みそのものが消えてしまうこともあるのです。
病気を正しく理解して受け止めることは、病気に翻弄されている当の患者さんにとって容易ではありません。舌が痛くなれば、「こんなに痛みが続くなんてがんに違いない」「舌が痛いから何もできない」と考えるのも無理はないでしょう。実際に舌がんであるかどうかを確かめるのは患者本人ではなく医師ですから、いつまでも気に病まず医療機関を受診する方が賢明です。健康な時であれば誰にでもある常識的な判断力が鈍くなりがちですが、「舌が痛いので何もできない」わけではないはずです。痛みがあっても、会社員であれば毎日職場に通って働くのが現実でしょう。したがって、「何もできない」ではなく「これならできる」と考えるべきです。物事を正しく捉えたり、判断したりできないことを専門用語で「認知の歪み」といいます。認知行動療法では「認知再構成」という方法を用いてこの歪みを修正します。
舌痛症の患者さんにお話を聞くと、一日中痛みが続くと訴える患者さんが少なくありません。しかし、毎日の痛みを日記のように記録してもらうと、実際には一日中痛みが続くケースは少ないのです。このように毎日記録することにより認知再構成が促され、「午前中は痛くない」「カラオケに行った日はいつも痛くなかった」「テストが近づくにつれて痛みが強くなっていった」など、何らかのパターンが見つかる場合があります。痛みのパターンに応じた対処法が見えてくると、次はそれを実行に移して結果を記録します。最後はそれを振り返り、対処法がどの程度有効であったかを検討します。このような試みを繰り返すうちに最も有効な対処法が身につき、やがて「痛みはあるが生活に支障はなくなった」、「痛みをやり過ごしているうちに消えてしまった」という段階に辿り着くことができるのです。
3.コロコロガム法
舌痛症の患者さんの中には「飴をなめている時は痛くないので、一日中飴をなめています」という方がいます。粘膜に異常がない場合は食事中に痛みを感じない、あるいは痛みが軽減するのが舌痛症の特徴です。食物や飴が舌に触れることにより、痛みが脳に伝わりにくくなることは神経が持つ性質から明らかにされています。
粘膜や皮膚の感覚を脳に伝える神経線維にはAβ、Aδ、Cの3種類があります。太いAβ線維は触覚を伝え、Aδ線維は中程度の太さで鋭い痛みを伝えます。一方、細いC線維は鈍い痛みや冷温覚を伝えます。Aδ線維やC線維に痛みの刺激が伝わっている状態、すなわち痛みが続いている状態で、Aβ線維が刺激されると痛みが軽減します。これは太いAβ線維の刺激が優先されて脳に伝わるため、より細いAδ線維やC線維の刺激が脳に伝わりにくくなるためです。舌粘膜に飴による触覚の刺激を加えると痛みが和らぐのは、このメカニズムによるものです。子どもが「痛い痛い」と泣きわめいているとき、お母さんが痛む場所をなでてやると痛みが軽くなって泣き止むのもこの理屈で説明できます。
ただし、一日中飴をなめるのは考え物です。当然飴は溶けてなくなるため、新しい飴を次々に口に入れる必要がありますし、飴をなめ続けると虫歯ができるというリスクもあります。飴をなめるよりずっと優れた方法があります。それはガムを5分間噛み、丸くなったガムを舌の上でコロコロと転がし続けるという方法です。「コロコロガム法」といい、痛みを和らげる効果は飴と変わらず、飴のように溶けてなくなることはありません。砂糖が入っていないガムを噛めば虫歯のリスクもゼロです。
4.リラクゼーション
心身の緊張状態が続くと痛みを感じやすくなります。逆に言えば、緊張さえ緩和できれば痛みは軽くなるはずです。身体の緊張を取る方法として「漸進的筋弛緩法」があり、精神的な緊張を取る方法に「自律訓練法」があります。
漸進的筋弛緩法は緊張している筋肉を緩める方法です。緩めたい筋肉にできる限りの力を入れて数秒間その状態を保つと、力が入って筋肉が緊張していることを感じ取れます。その後、力をふっと抜きます。直前の緊張状態とのギャップから、筋肉の力が抜けてリラックスした状態であることが実感できるでしょう。こうして全身の筋肉を順に緩めていきます。
自律訓練法は自律神経のバランスを回復させることにより、精神的な緊張を取る方法です。まずはゆったりとした姿勢で深呼吸し、できるだけリラックスしましょう。次に以下の7つの公式を順番に感じていきます。
- 第1公式(四肢の重感) : 手足が重い
- 第2公式(四肢の温感) : 手足が温かい
- 第3公式(心臓調整) : 心臓が静かに脈打っている
- 第4公式(呼吸調整) : 楽に呼吸している
- 第5公式(腹部温感) : お腹が温かい
- 第6公式(額涼感) : 額が涼しく心地よい
最後に伸びをし、首や肩を回して気分をすっきりさせます。
5.呼吸法
腹式呼吸を行うと副交感神経が優位になり、交感神経の緊張を緩和してゆったりとリラックスした気分を味わうことができます。
- 口を閉じてゆっくりと鼻から息を吸い込みます。このときお腹を膨らませて空気を最大限に肺へ取り込むようにします。
- 息を吸い込んだらしばらく呼吸を止めます。
- その後、ゆっくりと鼻から息を吐き出します。その際はお腹をへこませて空気を肺から追い出すようにします。
しばらくこの呼吸を続けているとさまざまな雑念が生じてくるはずですが、そのたびに呼吸そのものに意識を集中させましょう。やがて雑念が消え、呼吸だけに集中できるようになります。
交感神経の緊張を解く呼吸法を紹介しましたが、舌痛症の場合は副交感神経への対応が必要な場合もあります。一仕事終えてホッとすると舌が痛くなってくる、夜家に帰ってリラックスしている時間帯が一番痛いというように、舌痛症は副交感神経優位の時間帯に痛みが出現する傾向があります。そんなときは胸式呼吸で胸を膨らませ、ゆっくりと呼吸してみましょう。
ここまでは、舌粘膜に異常が見当たらない典型的な舌痛症に対する治療法を紹介してきましたが、たとえば糖尿病により引き起こされる神経障害性疼痛に対しては、当然痛みの治療だけでなく糖尿病自体に対しての治療が必要となります。
ここまでは、舌粘膜に異常が見当たらない典型的な舌痛症に対する治療法を紹介してきましたが、たとえば糖尿病により引き起こされる神経障害性疼痛に対しては、当然痛みの治療だけでなく糖尿病自体に対しての治療が必要となります。
次は、舌粘膜に異常がある場合の舌痛症に対する治療法を紹介していきます。このタイプには舌がんも含まれますが、舌がんに対する治療法は手術による切除が原則です。放射線治療、抗がん剤を用いた化学療法、免疫療法を組み合わせる場合もあります。また、がんが進行して手術ができない場合や全身状態が悪く手術に耐えられない場合にも放射線治療や化学療法、免疫療法が行われます。歯のトラブルに対しては歯科が対応します。
6.ドライマウスの治療
唾液の分泌量を増やす方法として漢方薬やムスカリン作動薬の内服、唾液腺マッサージ、舌筋や口腔周囲筋のトレーニング、ガムを噛む、コロコロガム法、水分摂取があります。口腔粘膜の潤いを保つ方法には保湿ジェルの塗布や保湿スプレーの噴霧、マウスリンスを用いたうがいやモイスチャープレートの使用があります。口呼吸に対しては口腔周囲筋のトレーニング、口唇テーピング、マスクの使用、コロコロガム法、鼻疾患の治療があります。
7.口腔カンジダ症の治療
カンジダ菌を駆除するため、口腔粘膜に抗真菌剤を塗布します。口内炎用のうがい薬の使用や漢方薬の内服も症状を改善させる効果があります。口腔カンジダ症はドライマウスに引き続いて発生するケースが多いため、ドライマウスも治療します。
8.歯ぎしり、食いしばりの治療
夜間の歯ぎしりを確実に治す方法はありませんが、「ナイトガード」という歯ぎしり用のマウスピースのような器具を装着して就寝すると、歯ぎしりから歯や舌粘膜を守ることができます。寝る前に「歯ぎしりしない」と何度も念じて眠りにつくと歯ぎしりしにくいという説もあります。
日中は食いしばらないことを意識するだけで舌の痛みが軽減する場合があります。上下の歯が接触する「歯列接触癖」は間違った状態で、上下の歯はいつでも2~3mm離しているのが正常な状態です。一か所でも上下の歯が当たっていると食いしばりへとつながっていくため、日中は上下の歯を接触させないよう心がけます。たとえば洗面所や台所などに「上下の歯を離す」と書いた付箋を貼っておき、見るたびに口の中を確認すると癖を改善しやすくなります。コロコロガム法も効果が期待できます。
9.口腔扁平苔癬の治療
口腔扁平苔癬は難治性で「このようにすれば治る」という定まった治療法はありません。ステロイド軟膏の塗布、口内炎用のうがい薬でのうがい、漢方薬、ビタミンA、胃腸薬などの内服といった治療法があり、これらの治療法が試されています。
10.扁平苔癬様病変の治療
この病気の主な原因は薬や歯科用金属に対するアレルギー反応です。原因となる薬の使用を避ける他、歯に使用した金属を別の材料に交換することが治療法となります。
11.紅板症の治療
この病気はがん化しやすいため早期の切除が望まれます。
12.亜鉛欠乏症
亜鉛は体内で作られず食事から摂取する必要があります。カキ(牡蠣)、レバー、蕎麦、牛乳、煮干しの他、野菜にも含まれているので、日頃からこれらの食品を意識して摂りましょう。加熱処理の過程で亜鉛が失われている加工食品は避けた方がよいでしょう。薬で亜鉛を補充する方法にはノベルジン、プロマック(薬品名:ポラグレジング)、酸化亜鉛の内服があります。
13.鉄欠乏性貧血
食事で鉄分を補うのがベストですが、腸管から鉄を体内に吸収するためには同時にタンパク質とビタミンを補う必要があります。鉄欠乏性貧血に対しては鉄剤を内服しますが、痔や大腸がんなど持続的な出血により鉄分が失われている場合もあるため、原因を調べる必要があります。
14.ハンター舌炎
ビタミンB12の注射や内服を行います。
山本聡子さんの治療
樋口院長「診察や検査の結果、山本さんの舌粘膜には異常が見当たらず、神経障害性疼痛による痛みで、「身体症状症、疼痛が主症状のもの」でもあることがわかりました」「山本さんが心配されていた舌がんではありませんでした。痛みさえ我慢できれば特別な治療は必要ありません」
山本さん「舌がんではないということがわかってホッとしました。しかし、痛みそのものが不快で我慢できません。何とか治してください。」
樋口院長「では、今日から早速お薬の治療を始めましょう」
国際疼痛学会のガイドラインでは、神経障害性疼痛に対して最初に三環系抗うつ薬かリリカを使用すると規定されています。リリカには眠気やふらつきの副作用が報告されており、ときどき車を運転する山本さんにはこの副作用が心配です。したがって、三環系抗うつ薬のトリプタノールを使うことにしました。トリプタノールには10㎎錠と25㎎錠がありますが、最初は10㎎錠1錠から開始し、毎日夕方に服用しました。
トリプタノールにも眠気や便秘、口の渇きなどの副作用がありますが、どの程度の副作なのか、副作用があっても飲み続けることが可能なのかについては、患者さん本人が実際に薬を飲んでみないとわかりません。副作用に関しては個人差が大きいからです。したがって少量からスタートし、徐々に増量していきながら副作用の有無を確かめるのです。このような理由から、山本さんは最も少ない10㎎錠を1錠内服することから始めました。2週間後に山本さんが来院されました。
樋口院長「舌の痛みはいかがですか。お薬はちゃんと飲めましたか」
山本さん「おかげさまで少し痛みが楽になりました。薬を飲んだのでそんな気がするだけかもしれませんが」
樋口院長「薬は毎日飲めたのですね。副作用はありませんでしたか」
山本さん「昼間少し眠くなりますが、薬を止めなければいけないほどではないです。寝つきが悪いので内科でもらった睡眠薬をよく飲んでいましたが、この薬を飲み始めてから夜は寝やすくなりました」
樋口院長「そうですか。眠いのは薬の副作用だと思います。薬を続けていくうちに体が馴れてきて眠気がましになる場合もあります。続けていけそうですから、予定通り今日からトリプタノールを20㎎に増量しましょう」「少しずつ増やしていけば、いつか痛みがなくなったり、痛くても気にならない程度に軽くなったりすることが期待できます」「ところで最近どこかで血液検査を受けたことがありますか」
山本さん「いいえ、ここ数年は検査を受けていません」
樋口院長「どの薬でもそうですが、薬を続けると肝臓などに副作用が出ることがあります。そのため、特に症状がなくても定期的に血液検査を行って肝臓や腎臓の働きに異常がないかチェックした方がよいのです。次回来られた時に血液検査をしましょう」
山本さん「はい、わかりました」
2週間後に山本さんが来院されました。舌の痛みは少し楽になり、初診時の痛みを10とすると、現在は8か9ということです。副作用の眠気も軽くなったようなので、トリプタノールを30㎎に増量することになり、予定通り血液検査を行いました。
後日、血液検査の結果には何も異常がないことが確認されました。その後も2週間ごとにトリプタノールを増量していくと、痛みも眠気も軽くなっていきました。便秘の副作用が出てきたので漢方薬を服用してもらうと、症状が改善しました。その後も便秘の状態に応じて漢方薬を増減しながら治療を続けました。
トリプタノールの使用量が増えると稀に心臓への副作用が出現するため、トリプタノールが70㎎に達した時点で循環器内科の医院を受診してもらい、心電図などをチェックしてもらいました。結果は異常なしでした。
薬を増やすにつれて舌の症状は軽くなり、90㎎の時点でほとんど痛みは感じなくなりました。その後はこの量で服用を継続していき、再度行った血液検査でも異常はありませんでした。
トリプタノール90㎎で症状はほとんどなくなったものの、時おり痛みが再発することがありました。お話をうかがってみると、お子さんとの間にもめごとがあると痛みが出るようで、そのもめごとが解決すると痛みも自然に軽くなるようです。しかし、だんだん身の回りの問題にうまく対処できるようになり、痛みがひどくなることはなくなりました。
トリプタノール90㎎の服用を継続しながら2カ月に一度通院してもらううちに、半年が経過しました。ほとんど痛みがない状態が半年続いたので、薬を中止しても痛みが再発する可能性は低いと予想されます。
樋口院長「調子がよくなってから半年が経ちましたね。そろそろ薬を止めても大丈夫ですよ」
山本さん「そうですか。大丈夫かどうかちょっと心配ですが、うれしいです。もう薬を飲まなくてもよいのですか」
樋口院長「いや、そうではありません。急に薬を止めると、めまいや吐き気の症状が現れる「抗うつ薬中断症候群」の恐れがあります。治療初期に抗うつ薬を徐々に増やしていったように、中止する時も徐々に減らしていく必要があります。早速今日からトリプタノールを80㎎に減らしましょう」
山本さん「薬を減らしていくと、また痛みが出るかもしれませんね。それが心配です」
樋口院長「痛みが出ない確率の方が高いですが、人によっては減量中に痛みが出ることもあります。その場合はまた薬を増やしていき、さらに半年間継続することになります」
山本さん「わかりました。早く治療を終わりにしたいので、とりあえず今日から減らしてください」
その後トリプタノールを徐々に減薬していきましたが、痛みが再発することはありませんでした。トリプタノールを10㎎まで減らした後、薬をストップしました。幸いなことにその後も痛みの再発は見られず、山本さんは無事卒業となりました。
今回ご紹介した山本聡子さんの場合はトリプタノールがよく効き、治療期間は1年近くかかりましたが順調に治療を終えることができました。もちろん実際にはいつもうまくいくとは限らず、舌痛症の患者さんの中には薬の効果が限定的で、治療前よりも痛みは軽くなったが依然として痛みが続く方もいます。副作用が強かったり、心臓などに持病があったりするとトリプタノールやリリカを使えない場合があります。そのときは他の抗うつ薬を用いたり、麻薬系の鎮痛薬を用いたりと、臨機応変に対応していく必要があります。
痛みそのものの改善が難しい場合は、日常生活の支障を取り除いたり、痛みの緩和を目指ざしたりする取り組みが必要となります。痛みに気を取られている状態、痛みのために気分が落ち込んでいる状態であれば、認知行動療法により痛みの捉え方を切り替えていくことも必要です。舌痛症に対しては、薬物療法と認知行動療法を車の両輪のように組み合わせて治療を進め、経過を観察していく方法が最も効果的といえます。
ところで、舌痛症と一口に言っても患者さんごとにその症状や原因はさまざまですから、これまでに私が出会った舌痛症の例を幾つかみていきましょう。なお山本さんと同様、個人情報保護のために主要となる情報以外は脚色を加えています。
舌の痛みを治す-症例1
ところで、舌痛症と一口に言っても患者さんごとにその症状や原因はさまざまですから、これまでに私が出会った舌痛症の例を幾つかみていきましょう。なお山本さんと同様、個人情報保護のために主要となる情報以外は脚色を加えています。
40代 男性
半年前に舌や上顎(口蓋)の違和感が生じて以来、徐々に痛みも感じるようになりました。食事の際には舌がしみて痛み、刺激物など食べられないものが幾つも出てきました。また、舌や口蓋の痛みは食事以外の時間帯にもあります。皮膚科や耳鼻咽喉科、歯科、大学病院の口腔外科で診てもらいましたが処方された薬はいずれも効果がなく、病院によっては「何も異常がない」「気のせいだろう」と治療してもらえませんでした。
そんなある日、インターネットで当院を見つけて来院されました。舌痛症について説明し、今後の治療方法について相談しました。副作用が少ない薬を希望されたため、漢方薬(茵蔯蒿湯)の内服を始めたところ、2週間後の来院時には症状の変化はなく、相変わらず痛むとのことでした。そこで漢方薬を温清飲に変更して8週間続けたところ、症状が少しずつ改善していきました。
トリプタノールそれでもまだ痛みが気になるため、漢方薬に加えて三環系抗うつ薬(トリプタノール)を開始しました。次に来院された際に具合をうかがうと、「トリプタノールを飲むと眠気が強く、我慢できないので一週間で勝手にやめてしまいました。」とのことです。トリプタノールは舌痛症に対して有効な薬ですが、眠気などの副作用のため継続が難しいケースも少なくありません。そこで代わりの抗うつ薬として、サインバルタを開始しました。
4週後に来院され、「日によってよかったり悪かったりで一定しませんが、かなりよくなっている感じです」とのこと。そして翌月に来院された際には痛みがなくなっていました。その後漢方薬と抗うつ薬を5か月継続して薬を中止したところ、その後も痛みは生じませんでした。いわゆるドクターショッピングを繰り返していた時期は、「この痛みは永遠に続くのではないか」「もう治りそうにない」と絶望していたそうです。「舌にも口蓋にも痛みがない状態なんてうそのようだ」と大変喜んでいらっしゃいました。
舌の痛みを治す-症例2
50代 女性
10年ほど前から口の中や耳、顔、首が痛くなり、痛み止めを飲んでも痛みが治まりません。整形外科、内科、歯科、耳鼻咽喉科と順番にかかりましたが、はっきりとした原因は見つからず、有効な治療は受けられませんでした。整体でマッザージ、鍼灸院でハリ治療とさまざまな方法にトライしましたが、あまり効き目がありません。一か月前からは舌のピリピリとした痛みが加わり、顔や首の痛みも続くため来院されました。
歯が接触している |
歯が離れている |
診察してみると、舌の粘膜に食いしばりによる歯型がついていること以外、何も異常が見当たりません。唾液の分泌量も正常で、一部の歯に歯周病が見られたものの歯や顎にも異常はありませんでした。ただし顎関節周囲の顔面や首の筋肉は凝っていて、食いしばり(歯列接触癖)の悪影響があることは確かでした。
以上の診察結果より、舌の神経に異常があるタイプの舌痛症と歯列接触癖による筋・筋膜痛と診断しました。
まず、歯列接触癖を改善するための取り組みとして初診日から漢方薬(柴胡加竜骨牡蠣湯)を開始しました。同時に歯磨きの練習や歯石除去などの歯周治療も始めます。2週間後に来院された時には、舌のピリピリした痛みは楽になりつつあり、顔や首の痛みも改善されてきたということだったので、漢方薬を継続することになりました。その2週後には「もうどこも痛くない。10年間の痛みは一体何だったのでしょう」との感想でした。漢方薬をさらに1か月継続し、痛みがないことを確認して薬を中止しました。
歯周治療が終了した後は、歯周病に対するメインテナンスを継続していきました。この間痛みは治まっていましたが、初診から1年後に舌の痛みが再発し、下唇もピリピリするようになりました柴胡加竜骨牡蛎湯。前回と同じ漢方薬を2週間飲んでもらいましたが、痛みは軽減されません。そこで漢方薬を半夏瀉心湯に変更し、さらに抗けいれん薬のリリカを一緒に飲んでもらいました。2週後に来院された際には痛みが軽くなっていたので、リリカと漢方薬をさらに4か月継続したところ痛みはなくなりました。薬による治療で痛みが消失した場合、薬を止めると痛みが再発する心配があるため、本来はしばらく薬を継続する方が安全です。しかし「薬はなるべく飲みたくない」と希望されたため、薬を止めてみることにしました。幸いその後も痛みは再発せず、現在も歯周病のメインテナンスのために通院されています。
舌の痛みを治す-症例3
30代 女性
1年前から舌先がヒリヒリと痛むため近くの総合病院の口腔外科を受診したところ、診察の結果は「異常なし」。うがい薬を2週間分出されましたが、痛みは舌全体にまで広がり、上顎(軟口蓋)も痛むようになりました。微熱や頭痛があることも気がかりで、大学病院であれば原因も判明して治してもらえるだろうと考え、すがるような気持ちで受診しました。大学病院では診察も検査も時間を要しましたが、幾つかの診療科で詳しく調べてもらうことができました。しかし残念なことにはっきりとした異常は見つからず、治療を受けることはできなかったのです。
ある日、夫がインターネットで病気を調べながら「ここなら治してもらえるんじゃないか」と指し示した医院、それがひぐち歯科クリニックでした。大学病院で詳しい検査を受けても何も進展しなかった病気ですから、期待は持てませんでしたが、他に手立てがあるわけでもないのでとりあえず来院されたそうです。
実際に口の中を診てみると舌の粘膜は乾燥気味でやや赤く、食いしばりによる歯型がついていました。ご本人にも日中に食いしばっているという自覚があり、歯列接触癖もありました。唾液検査で唾液分泌量が標準よりかなり少ないことが確認でき、血液検査では異常が見られず、カンジダ菌の培養検査で後日陽性反応が出ました。心理テストの結果では抑うつや不安感が強く、ご本人も仕事上のストレスが大きいことを自覚されていました。
これらの検査結果からドライマウス、口腔カンジダ症、歯列摂食癖と食いしばりによる舌粘膜、口蓋粘膜の異常が疑われました。また、痛みは食事以外のときにも持続することから、神経の異常による舌痛症も考えられました。大学病院では行っていない検査を幾つも受けて原因が絞り込まれ、診断が下されたことで大きな安堵を得たとのことでした。
いよいよドライマウスや歯列接触癖を改善する取り組みを始めることになりました。口腔カンジダ症に対しては2週間、抗真菌薬(カビ薬)を使用しました。抗真菌薬を口の中全体にマッサージを兼ねて塗り付けることにより唾液の分泌を促し、ドライマウスに対しても相乗効果が期待できます。同時に、漢方薬(半夏瀉心湯)の内服を開始しました。2週間後に来院された時には、口に中の痛みは軽くなったということでした。フロリ-ドゲルカンジダ菌の繁殖は2週間で抑えられるため抗真菌薬はこれで終了となり、漢方薬のみをさらに6週間継続しました。しかし、口の中の痛みは初診時より軽減したとはいえ続いていたため、漢方薬を人参養栄湯に変更し、加えて抗うつ薬(サインバルタ)を服用することにしました。抗うつ薬を飲み始めると1週間で痛みは軽くなり、4週後には痛みが消失しました。その後も抗うつ薬と漢方薬を継続したところ、痛みがない状態が続いたため6か月後に薬を中止しました。その後も痛みは再発していません。仕事上のストレスから退職されていましたが、再就職されたそうです。
舌の痛みを治す-症例4
70代 女性
3年前から口の渇きと舌の痛みが続き、普通の食事が摂りにくいことから、家族とは別に刺激の少ないものや水気の多い軟らかい食事が中心になりました。かかりつけの内科で血液検査を受けても異常はなく、耳鼻咽喉科や口腔外科を紹介されました。しかし耳鼻咽喉科でも口腔外科でも異常は見当たらないといわれ、処方された軟膏やうがい薬を使用しても効果はなく、食事も不自由なままということでした。また口の渇きで夜中に目が覚めるため、睡眠不足になっているということでした。
初めに来院されたとき、確かに口の中はカラカラに乾いた状態でした。刺激しなければほとんど唾液が出てきませんが、ガムを噛んでもらうとしっかり出て来ました。舌の痛みは食事のときに限定され、それ以外の時間帯は痛くないとのことで、血液検査やカンジダ菌の検査では異常がありませんでした。以上の結果から、ドライマウスとそれに伴う舌痛症と診断しました。
症状の原因がドライマウスであることが確認できたため、ドライマウスの治療を進めていくことになりました。ガムを噛めば唾液が多く出てくることから、舌をよく動かすことを心掛けてもらいました。「マウスコンディショナー」というジェルで粘膜の荒れを改善して潤いを与えながら、同時に口の中をマッサージして唾液腺を刺激します。夜間の口の渇きに対しては「モイスチャープレート」を作製し、睡眠時に装着してもらいました。モイスチャープレートはマウスピースのような装置で表面に小さな穴が幾つもあり、内側にマウスコンディショナーを塗っておくと、睡眠中に穴から少しずつ染み出して口の中の潤いを保つことができます。漢方薬(牛車腎気丸)の内服も開始しました。
このようにドライマウスの対策を取り万全を期したのですが、顕著な症状の改善は見られない状態が続きました。症状が気にならない日もあるものの、初診時と変わらない生活が続きました。舌粘膜の改善には時間がかかることを説明し、根気よく治療を続けて改善を待つことにしました。モイスチャープレートの形が気になるということから、作り直しも行いました。半年後には口の渇きと舌の痛みは半減され、10か月目にとうとう消失しました。漢方薬は終了しましたが、モイスチャープレートの使用は続けてもらっています。あれほどの口の渇きも舌の痛みもなくなったことが、嘘のようだと感想を述べられています。今では家族と一緒に食事を楽しんでいるそうです。
舌の痛みを治す-症例5
50代 男性
1年前から酸っぱいものや辛い物を食べた際、舌先に痛みを感じるようになりました。かかりつけの医院でビタミン剤や胃薬を処方され、数か月飲んでも改善しませんでした。その担当医がインターネットで調べた上で当院の受診を勧めたため、来院されたということです。
診察時に舌痛症の説明をし、どのような治療を行うかについて相談したところ、漢方薬を希望されたため防已黄耆湯を内服することになりました。2週間後来院された際には、「舌に痛みは大体なくなりましたがときどき痛みます」ということでした。その後も薬を継続すると翌月には痛みが生じなくなりましたが、「薬を止めると痛みが再発しそうで怖い」と心配されて漢方薬を続けることになりました。3か月後には「もう薬なしでも大丈夫だと思います」と言われ、服用を中止しました。以後歯周病のメインテナンスに通われていますが、痛みの再発は見られません。