門野幾之進記念館

国内観光・イベント 2022年06月18日

福沢諭吉の二の腕として慶應義塾大学設立に貢献し、慶應義塾の教頭を務めた門野幾之進は鳥羽藩の家老の長男です。13歳で慶應義塾に入塾し、成績優秀のため15歳で英語教師となり、その若さゆえに「ボーイ教師」と言われました。

福沢諭吉は日刊新聞「時事新報」を1882年に創刊しましたが、門野幾之進はこの新聞の社説を担当し、後に会長に就任しています。福沢諭吉は異業種交流紳士クラブ「交詢社」を1880年に創立しました。門野幾之進は後に交詢社の会長を務めています。慶應義塾を退塾後は千代田生命相互会社を設立し、貴族院議員も務めました。