関ケ原

その他 2020年07月10日

伊吹山南方に関ケ原の盆地が見渡せます。1600年9月15日に関ケ原周囲の山々には西軍の各将が鶴翼の陣を敷いて待ち構えていました。左手上方の濃尾平野からこの隘路に侵入してきた東軍を迎え撃つには理想的な地形のように見えます。
東軍はまんまと敵の罠にはまりに来たように見えますが、実際はそうではありませんでした。東軍の福島正則、黒田長政、藤堂高虎の切り崩し工作で、南宮山の吉川広家や松尾山の小早川秀秋、脇坂安治が内通していたため、東軍の包囲網は機能しませんでした。

関ケ原