涙の道

読書・趣味・家庭 2021年02月17日

アメリカ合衆国が独立する前は、白人の入植地域は米国東部海岸地域に限定するように英国王が定めていました。先住民族であるインデアンとの共存を図るためです。1776年に東部13州が合衆国として独立すると、その縛りが取り除かれました。白人入植者は南東部や中西部に進出していきました。
白人の進出はそこに住むインデアンにとっては侵略であることは間違いありません。しかし、抵抗するものは逆殺されていきました。実力差を認識するインデアンたちは(いやいやながらも)白人に迎合しました。
南東部のジョージア、アラバマ、ミシシッピ、フロリダに住んでいたチェロキー族、チカソー族、チョクトー族、クリーク族 、セミノール族はそのような迎合派で、文明化5部族と呼ばれました。白人との共存を望んだ文明化された部族は、虐殺は免れましたが、別の悲惨な将来が待っていました。
白人入植者が増えてくると、インデアンの土地が奪われることになりました。インデアンはインデアン準州(現在のオクラホマ州)まで徒歩で強制移動させられました。チェロキー族がジョージア州からインデアン準州まで歩いた距離は3500㎞もあります。この行進中に15000人のうち、4000人が亡くなったという過酷な旅で、「涙の道」と名付けられています。