中西部の農業事情
ジャレッド・ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄』によると米国東部は土地が肥沃で気候や降雨量も条件がよく、農業に適した土地です。残念ながら小麦や大麦などの穀物が自生していないために、人口を増やすほどの収穫を得ることはできませんでした。マメ類や繊維植物、果物、実のなる植物も自生していませんでした。そのため、クサヨシ、ミナトムギクサ、タデ、アカザ、ヒマワリ、キクイモ、ペポカボチャなどが細々と栽培されていました。農地からの収穫だけでは十分ではないため、狩猟採集が食糧確保の中心でした。
1000年ほど前にメキシコからトウモロコシ、カボチャ、インゲンマメが入ってくると食糧事情は飛躍的に改善しました。人口が増え、ホープ文化やミシシッピ文化が花開きました。このような繁栄は白人の侵略によって終わらされてしまいました。
東部から中西部のインデアン準州への強制移住は、自力での食糧生産をできなくさせたのです。中西部は乾燥した草原地帯(もしくは砂漠)であり、東部のような集約的な農業による食糧生産ができなかったからです。狩猟採集も農業で増加した人口を支える手段とはなりませんでした。