宮ノ越宿

国内観光・イベント 2022年10月03日

旧日義村にあった中山道の宿場です。木曽十一宿の中で本陣が残っているのはここだけです。他の本陣は明治以降利用されなくなり、取り壊されてしまいました。明治16年の大火で隣にあった居住部が焼けたため、本陣の家族が客室部を住居としました。このために取り壊されずに残りました。

江戸時代に本陣を利用できたのは大名と公家、勅使、門跡、宮、畑本、御茶壺道中、日光例幣使などです。あとの2つは何でしょうか。御茶壺道中は将軍専用の宇治茶を壺に入れて運んだ採茶使のことです。日光例幣使とは京都から日光まで幣帛を運んで奉納した勅使(例幣使)のことです。