靖国参拝
原子力発電や核融合といった技術は高校生の頃の私にとっては魅力的なものでした。物理の授業でラザフォードやボーアらの核物理の研究史を学んだからだと思います。大学では原子力工学科に入って原子力の平和利用を学ぼうかとも思いました。
一方で原子力発電の抱える危険性についても取りざたされていて、わからないなりに気がかりでした。命あるものは必ず息絶え、形あるものは必ず壊れます。原発施設も絶対安全とは言えないし、もし壊れた場合は甚大な被害が広がります。
高校生の頃に知った原発への懸念は1979年のスリーマイル島原発事故の教訓から広まったことです。1996年のチェルノブイリ原発事故でますますその心配が大きくなりました。
大多数の原子力の専門家は原子力発電にはフェールセーフの設計思想が組み込まれている、何らかの故障が生じてもそれを想定したバックアップの体制が手厚く築かれているために、重大事故には繋がらないと説明していました。
これとは反対に一部の専門家は原発の構造には弱点が多く、重大事故に繋がる恐れがあると警告していました。原発を安全とする専門家の方が圧倒的に多く、かつ権威のある学者が揃っていました。それでもなお原発に対する私の懸念は払拭されませんでした。
利益相反という言葉があります。原子力の研究や開発、利用に関する研究をしている専門家の多くは電力業界や監督官庁である経済産業省から経済的利益を与えられていました。このような専門家が原発に対して中立な評価を下すことは難しいのです。どうしても原発推進派寄りの発言になってしまいます。
1987年に広瀬隆の『危険な話 チェルノブイリと日本の運命』が発刊されました。1992年頃だったと思いますが、広瀬隆氏が大阪大学で講演会を行いました。講演の間中、原発のさまざまな危険性が紹介され、恐ろしい思いをしました。
原発が壊れるという心配が単なる杞憂であればよいのになあと願っていました。しかし、2011年に日本でも現実のものとなってしまいました。確率的に可能性が低くても、恐れるべきものは恐れる必要があります。一度起これば、その被害が甚大なことが予想されるなら、やはりそれを想定し備える必要があります。もとより、そうならないように予防することが大切です。
高校生の頃におぼえた不安は原発に対するものだけではありません。当時の世界は西側と東側、即ち自由主義陣営と共産主義陣営とに分かれて対峙していました。東側の国々には自由に旅行することもできず、鉄のカーテンで覆われ、その実態が謎に包まれていました。
高校生の私には「共産党宣言」などの書物は魅力的なものに思えました。共産主義の理念は資本主義の弱肉強食の考えよりも優れているように思えます。政治や経済を利益のせめぎ合いの産物として捉えるのではなく、一人ひとりの人間がよりよく生きるための道具として捉えているように思えました。マルクスの共産主義思想は人間愛を貫いた考えから発展しているように思えたからです。
一方で、全体主義国家の現実は恐ろしいもののように思えました。ソ連の強制収容所、一党独裁、粛清、ソルジェニーツィンの亡命、サハロフ博士の流刑、KGB、宗教の否定、秘密都市、ベルリンの壁……
全体主義国家には自由選挙がなく、批判的なマスコミもありません。デモや政治集会、政党結成などは全て禁止されています。そのため反対勢力が形成されることはなく、政権は未来永劫続きます。
エチオピア、ニカラグア、南ベトナム、ラオス、カンボジア、アンゴラ、モザンビークと従来の政治体制が妥当され、いずれも共産化されました。一方で共産主義政権が倒れ自由主義政権が誕生するということは一度もありませんでした。
このままでは世界は徐々に全体主義国家で占められるようになるのではないか。そのような世界になった時、日本はどうしていくのか。そもそも、日本も全体主義の波に飲み込まれて共産化してしまうのか。高校生の頃に覚えた不安はその後も決着をみずに続きました。
大学5年生の1985年の夏休みに中国を旅しました。『西遊記』や『敦煌』『三国志』など中国の文化や歴史にとても興味があったからです。このような表向きの理由以外に共産主義国家をこの目で見てみたいという密かな理由もありました。
実際に中国を訪れてみると驚きの連続でした。気候や光景、生活、習慣は日本とは全く異なっていました。このような違いはいくら書物を読んでもテレビを観てもわからないことです。歴史や文化の奥深さは期待以上のスケールでした。
中国人民のパワーにも圧倒されました。多くの人間がひしめく中で生き抜いていくには、人を押しのける強引さが必要です。初めて外国人をみるという人ばかりで、私の周りを遠巻きに人々が取り囲みます。「日本人だ」とひそひそと噂しています。
日本人の私に近寄って話しかけようとする人は多くありません。言葉が通じないということもあるでしょうが、そればかりではなさそうです。
中国は方言が多様で、同じ中国人同士でも全く通じない場合が普通にあります。そのような状況にはお馴染みなのでたとえ通じなくても構わずに一方的に話しかける中国人が多いのです。話しているうちに、理解できる単語を拾ってなんとなく意思が疎通できます。文字に書けば同じ中国語なので最後は筆談で通じるという事情もあります。
日本人の私もメモ帳片手に筆談で十分に意思疎通が図れました。それを近くの中国人が解読し、後ろに離れた中国人たちに伝えていきます。笑いが生じたりもしますが、なかなか近寄らない中国人も多くいました。
日本人が外国人に気後れして近づかないように、中国人も気後れしているのでしょうか。そうではなさそうです。中国人に気後れという概念は希薄です。そのような弱い面をのぞかせることは中国人の面子にかかわることのようです。
中国人が私に近寄らない理由は私が外国人だったからでしょう。文化大革命の時代に外国人と交流があったものはスパイ扱いされ、糾弾された記憶が残っていたからでしょう。人が集まる場所には必ず秘密警察が紛れ込んでいて監視されているともいわれていました。
外国人と交流を禁止する法律はなかったはずですが、当時の中国は法治国家ではなく人治国家でした。どのような理由で投獄されるとも限らない恐怖が人々の中にあったのです。
道を歩けば制服を着た軍人か警官と頻繁にすれ違います。道路にも軍用車がしばしば通り過ぎます。町の食堂でも、列車の中でも制服だらけです。まるで国全体が警察と軍に監視されているように感じました。
学生時代の中国旅行の経験から、全体主義国家の地盤の揺るぎなさと永続性を確信しました。そのため、ますます今後の世界の趨勢について懸念を待ったわけです。
ベルリンの壁から始まりソ連邦の解体に至った共産主義陣営の崩壊により、世界が全体主義に塗り替えられるのではという私の心配は杞憂に終わりました。一方で、どんなに強固で張り巡らされたシステムであったとしても、いつかは綻びが生じ、終焉を迎えるのだという教訓も得ました。
現在の私の心配は日本が再び戦争に巻き込まれてしまうのではないかということです。今の日本で戦争が起こるなんて幾ら何でも絵空事のようです。私も戦争なんて起こるはずがないと肌で感じます。私の心配はそれこそ杞憂なのでしょう。
しかし、今の東アジア情勢はそのような日本人の気分とは違う緊迫性を帯びています。尖閣諸島を東京都が購入するという石原都知事の思惑から端を発し、安倍首相の靖国参拝がとどめを刺したという感じです。
国民が国を大切にする気持ちはとても大事なことです。亡くなった人を想い、祈りを捧げることも人間本来の心情です。国を守るために戦って亡くなった兵士を悼む気持ちも同様です。為政者であれば国民を代表して彼らを偲び、功績を称えるのは当然のことでしょう。
安倍総理の靖国参拝を韓国や中国が批判することは余計なことです。内政干渉です。アメリカやロシアもこれに同調するとは怪しからんことです。このように感じる日本の人たちの気持ちは当然のものでしょう。
このような日本人として当然の心情とは別の感じ方をする人々がいます。昭和の時代に日本に占領されたり侵略されたりした東アジアから東南アジア、太平洋諸島の国々の国民です。安倍総理の靖国参拝や政治理念がいかに正当でまっとうなものであったとしても、これらの人々には関係ない話なのです。
集団的安全保障に対する解釈の変更、武器輸出3原則の運用緩和、特定秘密保護法の制定、靖国参拝と安倍総理の足取りはいずれも戦争に近づくもののように懸念されます。安倍総理は戦争に突き進むつもりは一切ないでしょう。日本を良くし、平和な国家が続くことを願っていると思います。それとは裏腹な国際情勢が私には心配なのです。
戦争が全て悪いわけではありません。アメリカは建国以来、ほとんど戦争に負けず、繁栄を築いてきました。建国当初を除き外国から侵略されたこともなく、他国との紛争を解決する手段として米国民は戦争を肯定する気持ちがあるでしょう。兵士の犠牲を伴うとしても、勝てば国益に叶うのです。
日本も明治の富国強兵策が実を結び、列強諸国との国の存亡を掛けた戦いに勝ち抜いてきました。日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦と勝利を重ねた結果、領土は拡大し、経済が発展し、列強の一員となりました。勝利は国を栄えさせるのです。例え兵士の死や負傷による障害があったとしてもです。
戦争が恐ろしいのは負けるという現実があるからです。負ければ国がなくなるかもしれません。国民全体が苦境に立たされます。誇りもへったくれもありません。命を賭して亡くなった軍人も浮かばれません。そのような苦境を日本人は経験したのです。歴史に学ぶ気持ちがあれば、やはり安倍総理の政治行動を支持することはできないのです。
永久に平和が続くように思われる今の日本に本当に戦争がやって来ることがあるのでしょうか。原発事故やソ連崩壊によって得た教訓は盤石で永遠に保たれると思えるものであっても、いつかは変わってしまうという事実です。ものごとは常に悪くなる罠が待ち受けているのです。その罠にはまらないようにするには特別の用心が必要です。
いかに付き合い甲斐のない隣国であったとしても、いかに覇権主義を振りかざす国であったとしても、隣国の意向を尊重するしかありません。国家としての誇りを保つことは当然重要ですが、国力に物言わせて力ずくでねじ伏せようという国を怒らせるのは得策ではないのです。言葉が柔らかすぎました。いかに卑屈であろうとも避けられる危険は最大限に回避した方がよいのです。
君子危うきに近寄らず