
米蔵、味噌蔵、衣装蔵と幾つも蔵がある武家屋敷です。2階の天井は空間を有効利用するためにアーチ状の船底型天井となっています。幕末期に当主は大野藩の家老を務め、次男は樺太を開拓し、大野藩準領地として幕府から認められました。

米蔵、味噌蔵、衣装蔵と幾つも蔵がある武家屋敷です。2階の天井は空間を有効利用するためにアーチ状の船底型天井となっています。幕末期に当主は大野藩の家老を務め、次男は樺太を開拓し、大野藩準領地として幕府から認められました。

こちらは大野城の真正面に立つ武家屋敷です。実をいうと江戸時代から武家屋敷が建っていた敷地ですが、建物は文政10年(1827)の大火「おねば火事」で類焼しました。その後郊外の農家を個々に移築し、武家屋敷に改装したそうで、天…
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平成の大合併で2004年にできた郡上市となった旧白鳥町のマンホールの蓋です。スキー場がたくさんあった町なので、雪の結晶が図案化されています。中央にはハクチョウがデザインされています。

安土桃山時代に大野城が築かれた際に、碁盤の目状の城下町が築かれました。京都と比べると古い家が多く、こちらの方が京都らしく感じます。交差点の名も「三番六間」というように交差する二つの通り名で表示されていてわかりやすいです。

周囲を高い山で囲まれ地下水が豊富な大野市内には湧水地があちこちにあります。御清水(おしょうず)は名水百選に選ばれています。朝倉義景の墓所にも義景清水がありました。