一橋家

その他 2018年05月10日

郡山宿の領主は徳川御三卿の一つである一橋家でした。8代将軍吉宗の4男宗伊から始まる一橋家は10万石を与えられ、摂津、和泉、播磨などに領地がありました。10万石の大名ではなく、徳川将軍家の家族という位置づけで、一橋藩というものは江戸時代には存在しませんでした。
椿の本陣の当主である梶家は一橋家から名字帯刀を許され、扶持を与えられていました。一橋慶喜が将軍家茂の名代として京で活躍した時期には、この辺りの領民が人・物・金銭を供出し、慶喜の活動を支えました。