頼政道
長尾天満宮の本殿へと登る石段の途中に「頼政道跡」の脾が建っていました。平家追討を決意した以仁王と源頼政は籠っていた大津の三井寺から、宇治の平等院を通って奈良に逃れようとしました。この逃走路を頼政道と言います。
長尾天満宮の本殿へと登る石段の途中に「頼政道跡」の脾が建っていました。平家追討を決意した以仁王と源頼政は籠っていた大津の三井寺から、宇治の平等院を通って奈良に逃れようとしました。この逃走路を頼政道と言います。
お寺の境内をどんどん登っていくと、上醍醐の区域に入ります。さらにどんどん登っていくと西国三十三所の第十一番札所、准胝堂があり、その奥の池の上には清流が流れています。この清流の源は醍醐水という湧き水で、この水のおいしさのこ…
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醍醐寺が西国三十三所の1つだとは知りませんでした。子供の頃からご詠歌を詠ってきましたが、「第十一番に山城の国、准胝堂」と読み上げていたのが、醍醐寺の観音様だとはこの日まで気づいていませんでした。子供ながら逆縁という言葉も…
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